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ここには、私ホークアイが心に映り行くよしなしごとを、映画を出汁に、思いつくまま天下御免に綴る、全く自己満足な場所です。
お読みになった感想や反論などは、掲示板の方に投稿していただくか、あるいは直接メールを頂ければ幸甚です。


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**2001年目次**

No.15 「アリー・My・ラブ」−理想の法律事務所(2001年12月24日) 
No.14 「スペース・カウボーイ」ーFly Me To The Moon (2001年10月27日)
No.13 「サンセット77」-憧れの探偵事務所 (2001年5月1日) 
No.12 「撃墜王アフリカの星」−砂漠に消えた撃墜王の青春 (2001年3月18日)
No.11 「銀座の若大将」−21世紀新春特別編 お正月だよ若大将! (2001年1月1日) 
No.10 「ブルースが聞こえる」−ニール・サイモンの青春記 (2000年12月8日)
No.09 「ブルー・ハワイ」−若大将エルビスの輝き (2000年10月7日)
No.08 「砦の29人」−マカロニ・ウェスタン考 (2000年9月17日)
No.07 「渚のデート」−ティーンの女王 (2000年8月12日)
No.06 「チャイナタウン」−ハードボイルド考(2000年7月26日)
No.05 「グレート・レース」−マンチーニの珠玉(2000年6月24日)
No.04 「シェーン」−遥かなる山の呼び声(2000年6月3日)
No.03 「ブルース・ブラザース」! (2000年5月1日)
No.02 「For the Boys」−兵士達に捧げる歌(2000年3月25日)
No.01 映画と音楽について(2000年3月20日)


No.15 「アリー・My・ラブ」

2001年最後の話題として、今回は再びTV映画のお話である。アメリカFOXーTVの超人気番組「アリーMyラブ」(原題:Ally McBeal)という弁護士ドラマをご存知であろうか。日本でも1998年あたりからNHKが放映しており、この秋から4th Seasonが放映されているのでご存知の方も多いと思う。アメリカのTVドラマのパターン通り毎回一話完結型で、且つ二十数週にわたるシリーズ(シーズン)全体でもストーリーは繋がるように制作されている。

AllyMcBeal3.jpgお話は米国マサチューセッツ州ボストンの法律事務所フィシュ&ケージ(順序が逆だったかな?)、ここに就職したハーバード大学ロー・スクール出身の主人公である女性弁護士アリーと彼女を取り巻く人々が次々と巻き起こす悲喜劇を、この法律事務所が請け負った「訴訟事件」の裁判所での審理と同時進行させるスタイルの「コメディー」なのである。 当初何気なく金曜夜のNHK放映で観たときには、さほど興味も湧かなかったのであるが、ネットの友人ご夫妻から強く薦められてから意識して観るようには成ったものの、そこは勤め人の性、金曜日の23時にそうそう自宅に居るわけもなく観たり観なかったりで、断片的な咀嚼で友人ご夫妻の話にイマイチ付いて行けないのである。 「アリーMyラブ」の2nd Seasonも既に終盤の頃だったであろうか、或る日仕事の帰りに自宅近所のレンタルビデオ屋を覗いたら、あるではないかアリーのビデオが。 そこで一念発起、1st Seasonの最初から通しで全部観てみようと思い立ち、毎週末にはビデオを2〜3巻借りて来て、用事が無ければ朝から晩までビデオ三昧の日々が続いた。戦争映画しか観ないと勝手に決めつけている家人や子供達は、親父どうにかしてしまったのではないかという不安気な目で筆者を見る。ところが、どうして、これがなかなか面白かったのである。あとは一気に3rd Seasonの最後まで観るしかない。

ドラマの主人公アリー・マクビールは地元のハーバード大学ロースクール(日本で例えれば東大法学部大学院修士課程か)を上位5%で卒業した才媛という設定なのであるが、大学の先輩の引きで就職した法律事務所には子供の頃から将来を誓い合っていたビリーがやはり弁護士として勤務しており、しかも妻帯であることからアリーの心は千々に乱れ、ビリーとその妻ジョージア、変人揃いの同僚弁護士、事務所スタッフ入り乱れての大ドタバタ・コメディーを演じるのである。 ドラマはハリウッドに作られたスタジオのお定まりの場所(例えば、アリーのオフィス、事務所の男女共用トイレ、法廷、下階のレストランクラブなど)で繰返し展開され、ロングショットで僅かにボストンであることを思い起こさせる手法に徹している。これでワンパターンの可笑しさを醸し、台詞も気が利いて可笑しい。 しかし並のドタバタ・コメディーであったならば筆者もここまでこの連ドラに嵌ることはなかっただろう。

「アリーMyラブ」では毎回ユニークな民事訴訟をテーマにした裁判シーン、民事和解交渉シーンなど、アメリカの法律事務所の日常が比較的忠実に描かれている点を見落としてはいけない。舞台設定が法律事務所で主人公が弁護士で、登場人物は殆どが法曹関係者とアリーの恋愛関係者に限られるこのドラマで訴訟が登場するのは必然と言ってよいのだが、たわいないドタバタと並行して展開されるケース(訴訟事件)は、なんと殆どが実際に米国社会で起こった実在のケースをモデルにしていると思われる。しかもある意味で病んだ現代アメリカ社会を反映する特異なケースが選択されているのだ。また、事務所内のヒエラルキー、つまり弁護士の中でも経営者であるパートナー(リチャードとジョン)、社員弁護士であるアソシエイト(アリーはこれにあたる)、準法務職員であるパラリーガル、そして秘書のセクレタリ(エレイン)、事務員であるクラーク、等々の職務階級も正確に描かれ、しかもその階級間の葛藤まで描かれているのには感服した次第である。
それもそのはず、番組プロデューサーであるデビット・E・ケリー氏はアイビー・リーガーの元弁護士(米国では珍しいことではないが)で、おそらくは脚本に織り込む訴訟に関しては多くの実際の判例を調べて制作することにより、番組に奥行きを持たせることに成功している。米国のTV番組でもやはり弁護士ものの主流は刑事訴訟もので、スリルとサスペンスに欠ける民事訴訟ものは敬遠され勝ちであったが、コメディー仕立でこれを大成功させた手腕にはうならせられる。 つまり細かな考証による真実を積み重ね、大きな絵空事の物語を成功させているのである。これは日本のTV界には到底望むべくも無い制作姿勢なのだ。繰返すが日本のTV界のみならず映画界においても、こうした制作姿勢は最も欠けているところで、ドタバタ喜劇はすべてが出鱈目であり、シリアスな社会派ドラマと言えばどこまでもしかつめらしくて、喜劇だからと全てがいい加減で許され、社会派だからと教条的な辛気臭さを平気で押しつけるのである。もはや制作者の知性と教養の差としか言いようが無いほどに彼我の感性の差は開いてしまっているのではないだろうか。

AllyMcBeal1.jpgそしてもう一つ忘れてならないのは「アリーMyラブ」の各シーンのバックやクラブのステージ場面に使われる1950年代から70年代にかけてのアメリカン・ポップスである。オリジナルは使われず殆どが準レギュラーとしてクラブ・シンガー役で登場するヴォンダ・シェパードのカバー演奏・唄によるものであるが、ドラマの展開に会わせてアリーや登場人物の心情を映すかのような絶妙な選曲には参った。シリーズも後半になると有名俳優・ミュージシャンが超人気シリーズとなったこのドラマへのゲスト出演をする様にもなり、アル・グリーンやティナ・ターナーが実名で登場したり、ブルース・ウィルスが端役で出たりの「お遊び」の余裕も見られるようになっている。想像の域は出ないが、プロデューサーのデビット・E・ケリー氏は相当なポップス・ファンでしかも拘りを持ち、造詣も深いと読んだ。勿論音楽監督は他にいるのだが、統括責任者がConsciousでなければ、頻繁に曲名をエピソード・タイトルに付けるような真似は出来ない筈である。

最後に、このアリーの物語は優しい物語である。何れも一癖も二癖もある個性的な登場人物は、皆多かれ少なかれ喜びに飢え、哀しみを抱えて孤独に向き合う寂しいアメリカ人達である。アリーはファザコンでビリーとの愛が心の中で清算出来なくて悶え苦しんでいる。事務所の経営者リチャードも独特の金銭哲学を持ちながら、満たされぬ「性」的達成感に苦しみ、ジョンは自らを変人と認めつつも「普通の愛」への憧れが果されず苦悩する。辣腕女性弁護士も検事も判事も一皮剥けば人並みに下世話な人間としての悩みに日々苛まれる姿は哀しくも可笑しい。売れっ子プロデューサーであるデビット・E・ケリー氏はこれらを「アリーMyラブ」においてデフォルメして描くことにより、彼の他のヒット作「ボストン弁護士ファイル・プラクティス」や「シカゴ・ホープ」よりずっと優しい眼差しで人間を見ているような気がする。
(2001年12月24日)

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No.14 「スペース・カウボーイ」
なんと約半年ぶりの更新である。 前2回、懐古趣味的な話題が続いたので、今回は割と新しい映画、でも何故かじ〜んと来た映画のことをお話ししよう。 映画はC・イーストウッド主演・監督の2000年作品「スペース・カウボーイ」である。 若い方もご覧になった方は多いであろう。 各処でこの映画の批評も目にしたが、何れも筆者とはかなり視点が異なった論評が殆どで、(ズレているのは筆者の方であろうが)我が意を得たりというものは無かった。

SpaceCowboy.jpg映画の粗筋は1950年代の宇宙開発黎明期、NASA誕生前夜に砂漠地帯で初期音速機の速度テスト・高度テスト飛行を繰返していた空軍パイロットのチーム「デイダロス」が宇宙飛行を果せぬまま、米国の宇宙初飛行の栄誉をなんとチンパンジーに奪われるという屈辱から40年経って、ソ連崩壊による冷戦終結後の現代のNASAで、旧ソ連時代の通信衛星の制御装置が故障して地球に落下するのを防ぐために往年の技術者の出番が廻って来る。 なんとソ連の衛星の制御装置には「デイダロス」の一人元空軍パイロットであるコービン博士(C・イーストウッド)の技術が使われてていたのである。 コービンはNASAの協力依頼に対し、「デイダロス」のメンバー4人が直接宇宙に赴いて修理をすることを条件に仕事を引き受ける。 以降のストーリーは例によって大胆に割愛(笑)、結局「デイダロス」は40年前に夢見た宇宙に飛び出すのである。この「デイダロス」のメンバーを、C・イーストウッド、トミー・リー・ジョーンズ、ドナルド・サザーランド、ジェームス・ガーナ-の4人が演じているのが何よりも凄いのである。いずれもハリウッドで大成した主演男優をイーストウッド監督はユーモラスに各男優の老いたりとも失われぬ存在感を上手く引き出すことに成功している。 細かい演出だが、1959年の若き「デイダロス」の面々が、四人の老男優に実に良く似ているあたりから、観客はニヤリとさせられる。

そして何よりも肝心なことは、この映画が間違いなく1983年アメリカ映画「ライト・スタッフ」をモチーフにして作られているであろうということである。「ライト・スタッフ」は戦後米国の多分に政治的要素を含んだ宇宙開発の尖兵として三軍から選びぬかれた7人のエース・パイロット達の栄光と挫折を淡々と描いた問題作で、いまだに評価の分かれる映画なのである(因みに筆者は肯定派)が、そこで描かれた第二次世界大戦のエース、チャック・イェーガーをはじめとする7人のエース・パイロット達の凄まじい先陣争いや家族・友人間の葛藤が「スペース・カウボーイ」の下敷きとして存在することを冒頭の1959年のシーンでまず観客に暗示し、その後のストーリー展開は「ライト・スタッフ」の後日譚としての軽い乗りのファンタジーでしかないのである。 しかもイーストウッド監督は、こんな軽いタッチのファンタジーが作れる人なのかと再認識してしまうほどの可笑しさを醸していて、彼の作品の中ではかなり出来の良い部類に入るのではないだろうか。 軽い乗りなのに拘わらず、イーストウッドは「ライト・スタッフ」の敗者に対して暖かい共感を描き、人知の限りを尽くした「腕」の競争でもあった時代に鎮魂歌を捧げることにより、いまや先端電子技術の競争となった宇宙開発に疑問をすら投げかけている。 「おじいちゃん達、やれば出来るじゃない!凄い!」と若者に思わせることではなく、「若いの、本質を見失うでないぞ!」と言っているかのように。

さらに、この映画を爽やかにしているのが使われた音楽である。 アリゾナかニュー・メキシコを連想させるギター演奏のオープニングに始まり、ニール・ヤングの"Old Man"であるとか、ポール・サイモンの"Still Crazy After All These Years"、フラミゴスの大ヒット曲"I only Have Eyes For You"などが、なるほどなと思わせる場面に目立たず鏤められている。そして圧巻は、素晴らしくファンタジックなラストシーンに使われたカウント・ベイシー楽団を従えたフランク・シナトラによる"Fly Me To The Moon"である。まさにJAZZに造詣の深いイーストウッドの面目躍如といったとこだろうか。 もしかして、イーストウッドはこの曲を使いたいが為に長い間この映画の企画を暖めていたのではないかとも思わせるほどの素晴らしいラストシーンであった。
(2001年10月28日)


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No.13 「サンセット77」
まるでノスタルジックなコーナーになってしまいましたが、なんせ新しい映画を殆ど観ていないので、またもや今日も昔話になってしまうことをお許し頂きたい。但し、今日はテレビ映画のお話。

我が国にテレビ放送が開始されたのは1953年のこと(NHK、TBS)であるが、まだ高級品・贅沢品だったテレビ受像機(死語、モニターのこと)が一気に全国に普及したのは二つの出来事が契機となっている。一つは1959年の皇太子殿下(現天皇陛下)と正田美智子さん(現皇后陛下)の御成婚のテレビ中継であり、もう一つは、皆さん良くご存知の通り、カラーテレビが一気に普及した1964年の東京オリンピックである。筆者の生家も御多分に漏れず、皇太子さま御成婚の実況生放送を契機に居間の中央に白黒テレビ受像機がデンと据えられるようになった。小学校3年生ぐらいであったであろうか。力道山の活躍に街頭テレビや電気屋の店頭のテレビに人だかりがしていた時代である。
若い方々には想像も出来ぬかもしれぬが、その時代のテレビ局に、さほどのコンテンツがあろうはずもなく、且つ、視聴可能なテレビ局も地方においてはNHK2局と民放1〜2局というのがせいぜいで、番組の選択肢など無いに等しかった。そんなテレビ事情において、ませガキだった私はアメリカのテレビドラマに魅せられていたといってよい。「パパは何でも知っている」のようなホーム・ドラマに垣間見るアメリカ人の生活の豊かさ・・・家庭用大型冷蔵庫や自家用車、そして綺麗で広い家に住む美しいママと優しいパパ・・・は、まだ見ぬ異国への憧れに留まらず、今思うに戦後の日本人を斯くも腑抜けにしてしまうに足る魔力を持っていたのだろう。

77SunsetStrip.jpg標題の「サンセット77(77 Sunset Strip)」(米ABC放送で1958年〜1964年放映、日本では1960年放映開始)はこの時代に放映された米国製テレビドラマの中でも、恐らく最も知名度の高い作品の一つであるだろう。題名は米国加州ロスアンゼルスにある探偵事務所の住所番地である。主人公のベイリー(エフレム・ジンバリスト・Jr)とスペンサー(ロジャー・スミス)の二人の探偵、それに駐車場係りのクーキー(エド・バーンズ)ほか取り巻きが毎回難事件に挑んで解決して行くのであるが、日本語吹替えとはいえ、その軽快でユーモアに富んだセリフの遣り取りに、テレビの前に釘付けになったものである。エフレム・ジンバリスト・Jrは後の主演テレビ映画「FBI」のシリアスな演技に比べ、ハリウッドの探偵らしく若くリラックスしていて、粋で、カッコ良かった。 生憎と「サンセット77」は、お色気もありの大人向けの番組のカテゴリーであったらしく、確か夜10時からの放映だったと記憶するが、当然小学生のガキだった筆者は、毎週々いつも両親・両祖父母から夜更かしを叱られながらもへばりついていたと記憶する。

当時の米国は、有名な「ララミー牧場」や「ボナンザ」などの西部劇と並んで、こうした探偵モノが流行りだったとみえて、同様なパターンの探偵モノ・警察モノのテレビ映画が続々と日本でも放映されたのであるが、駄作も多くて今も語り継がれる作品というのは多くない。 この「サンセット77」を筆頭に、マイアミのボート・ハウスを探偵事務所とし、後のグリーン・ホーネット役ヴァン・ウィリアムスや、金髪碧眼のハンサムボーイ、トロイ・ドナヒューの大活躍し世のお嬢さま方を虜にした「サーフ・サイド6」、そしてホノルルを舞台に朝鮮戦争復員兵である元警部の私立探偵がホノルル市警と協力して事件を解決する「ハワイアン・アイ」などが日本でもお馴染みの代表作だろう。 そもそも、「私立探偵」なる職業が存在すること自体、子供心に「凄い!」と思っていたのだ。将来大きくなったらバスの運転手さんではなくて「私立探偵」になろうと思い込んでいたのだ。本気で(笑)。 そして、これらの作品は何れも憶え易いテーマ曲を持っており、当時この番組を観ていた人達(もちろん今や全員が中年以上の筈)なら誰でも今でもそのフレーズを口ずさめるのではないだろうか。幸いにも近年CDにより往年のテレビドラマのサントラが手に入るようになったのは喜ばしい限りだ。筆者は「サンセット77」のサントラCDを所有するが、なんとドイツ製である。やはり、かの国にはマニアックな御仁、法人が多く存在するようである(笑)。件のCDは、今聴いても少しも古さを感じさせない素晴らしいジャズ・フィーリングである。音楽監督のウォーレン・ベーカーが当時のワーナー・ブラザースの最高のミュージシャンを集めて録音しているのであるから、さもありなん・・である。

二十数年前、新婚旅行で生まれて初めて米国ロサンゼルスに行った時に、77 Sunset Stripに何があるのか知りたくて、地図を頼りに嫌がる家人を引きずってサンセット大通りを彷徨し、Sunset Stripという地名に辿りついた。そこにはもちろん77番地など存在せず、しゃれた探偵事務所もありませんでした。
(2001年5月1日)


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No.12 「撃墜王アフリカの星」
DerSternVonAfrika2.jpgまたいつもの昔話で恐縮だが、1950〜1960年代のラジオ放送には、電話やハガキによるポピュラー・リクエスト番組というカテゴリーが、全国ネットでもローカル曲でも必ず存在した。これらの番組の対象となる「ポピュラー・ミュージック」とは、それこそロックンロールからビートルズ、フォークソング、ラテン、カンツォーネ、イージー・リスニングまで、所謂洋楽ならなんでも対象となっていたのである。 今思えば、よくもそんなに違うジャンルの曲を「ごった煮」にしてランキングを付けていたものだとあきれ返るのであるが、小中学生であった筆者も含めて根強いファンは多かった。そのランキングで、映画音楽というのは結構ランキング上位を占める常連でもあったのである。 有名どころでは「エデンの東」とか「夏の日の恋」(トロイ・ドナヒュー、サンドラ・ディ主演の「避暑地の出来事」の主題曲 A Summer Place)などがランキング1位を占めたと思うのであるが、こうした番組のお陰で、筆者は後年映画を観るより先にこれらの曲を知っていた。 ところが例外的に映画のほうを先に観ていて、子供心に「良い曲だな」と印象を持ったサウンドトラックを、こうした番組で耳にした時の興奮は、言葉では言い表せない少年の日の感動であった。 「アフリカの星のボレロ」はそうした忘れることの出来ない曲の一つである。

「アフリカの星のボレロ」はご存知の通り、1957年西ドイツ映画「撃墜王アフリカの星」(原題:Der Stern von Afrika)で全編に流れる高名な主題曲である。 映画はヨアヒム・ハンゼン演ずる大戦中ドイツ空軍が生んだ不世出の天才戦闘機パイロット、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ大尉の短くも鮮烈な一生を描いた、戦争映画というよりは青春映画と云った方がよいであろう。 ドイツ空軍の航空士官学校の生徒であった主人公の天衣無縫のやんちゃぶりから、アフリカ戦線に派遣されて天賦の才能を開花させ、メッサーシュミットBf109を駆って撃墜王となり、総統ヒトラーから直々に柏葉剣付き騎士十字章を授与され、ドイツ空軍史上最年少で大尉に昇進し、天才と雖も例外無く襲ってきた戦争神経症に悩み、恋人との短い逢瀬に僅かな人生の希望を見出す様を挟んで、23歳でアフリカの砂漠の露と消えるまでが暖かい視点で描かれる。
戦争の傷跡まだ覚めやらぬ敗戦国ドイツで制作されたこの映画が、今も名作と評価されるのは、不幸な時代に生まれ、はからずも時代のヒーローとなってしまった青年の愛や苦悩の普遍性が、観る人に感動を与えるからに他ならない。 実はこの作品がリメイクされると聞いてこの雑文を書いてみる気になった。

HJMarseille.gif実在したマルセイユ大尉(右写真はアフリカ戦線における実在のマルセイユ大尉)は、連合軍や日本軍の常識から見ると驚異的な158機の撃墜を記録するものの、ドイツ空軍歴代エースとしてはトップの352機撃墜を記録したエーリッヒ・ハルトマン大尉から数えて実は30位に位置する。 トップでもないのに「天才」と称され人気が高かったのは何故か? それはトップ・エースのハルトマン以下の高スコアをあげた撃墜王は東部戦線のヤコブレフやストルモビックなどのソ連機を相手に機数を稼いでいる場合が多いからで、マルセイユが英仏海峡およびアフリカ・地中海戦域で英米軍の練度が高い操縦士によるホーカー・ハリケーンやスピット・ファイアを相手に上げたスコアである点が高い評価となっていると云われている。 また、ハルトマンが衝突寸前まで近接して敵機に銃弾を撃込む戦法を得意にした(もちろん、ハルトマンの射撃能力も天賦の才であったといわれる)ことに対し、マルセイユは旋回しながら追尾中の敵機の未来位置に銃弾を撃込むことが得意であったといわれ、「天才」の名に頷けるエピソードを残している。
映画は大戦中の名戦闘機Bf109が敗戦国西ドイツに存在する筈も無く、当時スペイン空軍に現存した実機を使って行われたので、航空機ファンにとっても記念碑的な作品であることは云うまでも無い。

DerSternVonAfrika.jpgさて、ハンス・マルティン・マヨウスキーによるエキゾチックな名曲「アフリカの星のボレロ」は多くの音楽家に愛され、スタンダード・ミュージックとして名のある楽団に取り上げられて来た。冒頭のラジオ番組でも、多くは有名楽団のカバーによる、洗練された曲が放送されていたと記憶するが、あくまで私の記憶は、椰子の木と擬装ネットを被せたBf109戦闘機を背景としたタイトルによるオープニングと、ラストの砂に埋もれた愛機エルベ14の垂直尾翼のシーンで使われるエルヴィン・レーン楽団による素朴なオリジナル演奏の曲だ。 戦争映画には似つかわしくない甘くて切ない旋律は、この映画を名作青春映画たらしめた功績の半分以上を与えられて然るべきではないかと思う。 一方、ハンサム・ヒーローを演じて一躍スターとなった主演の新人ヨアヒム・ハンゼンは、その後さしたる主演作品もなく、ドイツ軍将校役の脇役俳優のまま長命ながら大成しなかった。 何故だかは判らない。

この文を書くにあたり、「撃墜王アフリカの星」のビデオを取り出して久しぶりに観た。 航空士官学校のマルセイユ候補生が危険飛行を咎められ、謹慎処分を受けベルリンの実家に帰省した際に、叔母から印象的なことを言われる。 「あなた達(士官学校)候補生を見ていると子犬を思い出すわ。人間は無駄だと判っていても一生懸命子犬に芸を仕込むものよ。」 1942年9月30日、エンジン故障で発火した愛機エルベ14から脱出を試み、尾翼に落下傘を絡めて愛機とともに墜落死したヒーローの運命に思いを馳せ、この言葉を反芻した。
(2001年3月18日)



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No.11 「銀座の若大将」
子供の頃にはまるでSFの世界であった21世紀が、リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」の調べと共に、大々的に現実のものとなってしまいました。そこで謙虚に我が過ぎ去りし半世紀を顧みて、我が映画人生、音楽人生に多大な影響を与えてくれた初の「邦画」の話を致しましょう。 脈絡もなくその映画は、ご存知若大将加山雄三のシリーズ第2作「銀座の若大将」(1962年 東宝)であります。

YuzoKayama.jpg加山雄三の若大将シリーズに関しては、今更述べるまでもないほど皆さんよーくご存知の通りで、1961年の「大学の若大将」に始まり、1971年「若大将対青大将」まで16作+番外2作の合計18本も作られた東宝の大ヒットシリーズであります。加山雄三扮する若大将、田中邦衛扮するライバル青大将、星由里子演ずるヒロインすみちゃんの恋の鞘当を軸に、有島一郎のお父さん、故飯田蝶子扮するおばあちゃん、などの芸達者が脇を固める、たわいない青春バラエティー映画なのでありますが、これだけ長期間に亘り若い観客に支持され続けた邦画のシリーズというのも珍しいのです。 思うに、このシリーズ長命の理由は、ナイスガイ石原裕次郎とも、トニー赤木圭一郎とも違う、加山雄三という日本映画界が産んだ新時代のスターの存在に負うところが大きい、というかそれが殆どではないかと思っているのであります。 その証拠に、加山雄三がシリーズからリタイアした後に、東宝は2代目若大将と称して黒沢年男だの草刈正雄だのを担ぎ上げ、"二匹目のどぜう"を目論んだのでありますが、見事というか、天晴れというか、日本中から見向きもされなかったのです。 戦前戦後を代表する優(やさ)男スター上原謙を父に、リズ・テイラー風派手目女優小桜葉子を母に持ち、慶應ボーイにしてスキーの国体選手(神奈川県代表)、音楽万能、そして母親ゆずりのバタ臭いハンサムと来て、おまけに母方の先祖は幕末の貴族策士岩倉卿とあっては、銀のスプーンを何本も咥えて生まれて来たようなプロフィールではあります。 時あたかも高度成長華やかかりし頃、人はみな、底抜けの明るさと毛並みの良さを愛し、主人公に我が身を重ねて中流意識に酔ったのでありましょう。 しかも、現代のアイドルと違って、加山雄三には当時から不思議と男性のファンが多いのであります。

さて、若大将シリーズが大ブレークしたのは1963年の「ハワイの若大将」あたりからでありましょう。筆者が劇場で封切りを観たのもこのあたりからですが、実はその前から姉が夢中になっておりました関係で加山雄三のことは小学生の頃から知っておりました。 生意気盛りの少年としては「ふん」てなもんですが、姉に連れられて若大将がチョイ役出演の「名もなく貧しく美しく」(松山善三監督1961年作品、小林圭樹、高峰秀子主演)なんかもちゃんと観に行ったりしているのです。 丁度その頃加山雄三がどこかのラジオ局で30分番組を担当しておりまして、これを毎週聴いておりました。番組名は忘れましたが、彼の選曲は非常に斬新で、エレキブーム到来の前に既にシャドウズ、ベンチャーズといったまだ日本では馴染みの無いバンドを紹介したりしていました。 そして時折、洋楽の合間に自分の作った曲をかけたりするのですが、日本人が作ったとは思えないバタ臭い旋律と英語の歌詞に、当時洋楽のポップスに嵌っていた身としては仰天したのであります。彼の映画を観に行くようになったのはそれからのことです。ラジオ番組はやがて打切られてしまいましたが、その数年後に加山雄三は大ブレークします。「ハワイの若大将」、「海の若大将」そして続く「エレキの若大将」で彼が唄いまくるのは、件のラジオ番組で聴いたバタ臭い荒削りな自作の英語曲に岩谷時子女史の甘い日本語の歌詞を付けたものだったのであります。

それでは何故「銀座の若大将」であって「ハワイ・・」や「エレキ・・」ではないのか? 「銀座の若大将」の中の自宅場面で加山雄三はアマチュア無線交信(思えばネット・サーフィンの走りか?)をしながらマイクに向かって自作の「ブーメラン・ベイビー」を英語で唄うのですが、この時オープン・リールのテープに録音した自分の歌とギターとで一人二重唱・合奏をやってのけるのです。これには驚きました。こんな映画はそれまで見たこともなかったし、その後も見たことありません。これに衝撃を受けた中学生だった筆者はお年玉を握り締めて初めてギターを買いに走ったのでした。まるでリッキー・ネルソンの曲のような「ブーメラン・ベイビー」を聞くと、いつもその頃の、中学生の自分を思い出します。わたくし事で恐縮ですが、やはり同時代に影響を受けたビートルズやローリング・ストーンズは、ポップスやロックというものの扉を開いてくれましたが、楽器を弾くことの楽しさを教えてくれたのは、紛れも無く加山雄三その人であり、音楽を聴くだけの少年が演奏もする少年に変身する、「その気」にさせた契機となる映画であるのです。
それまでにもギターを担いで銀幕に登場した男優は結構いましたが、石原裕次郎も小林旭もそれは皆「演歌」でしかなかったのです。加山雄三の驚くべき才能とテクニックは還暦をとうに過ぎた今も健在です。若い方々よ、彼の楽器演奏は、間違っても「年寄りの冷や水」なんて思わないで頂きたいですな。 茅ケ崎パシフィック・ホテルや越後湯沢の「加山船長」スキー場で破産同然になるようなビジネス音痴であろうが、愛妻家を気取って実は若い愛人存在の噂が立とうが、かつら疑惑が囁かれようが、日本が誇る、21世紀に伝えたい”永遠の若大将”の輝きは、何ら色褪せることはないのです。
(2001年1月1日)


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No.10 「ブルースが聞こえる」
BiloxiBlues3.jpgブロードウェイの演劇界の第一人者ニール・サイモンによる戯曲の映画化で、「愛の狩人」、「卒業」のマイク・ニコルズ監督、マシュー・ブロデリック主演の「ブルースが聞こえる(Biloxi Blues)」という1988年米映画がある。 映画の舞台は1945年春、終戦間際の米国でニューヨーク周辺の諸州から徴兵されてミシシッピー州最南端メキシコ湾に面した陸軍訓練キャンプBiloxiに向かう兵員輸送列車内から物語が始まる。主人公の回想モノローグのヴォイス・オーヴァーが車窓の主人公の童顔に被さる。今思えばあの戦争は「良い戦争」だったこと、兵士になった自分たちはみんな女の子にもてたこと、高校を出たばかりでドラフトされて一緒になった仲間にはロクな奴がいなかったこと・・・などが語られて本編に入る。

やがて新兵を満載して北米を南北に縦断した列車はミシシッピー州最南端のビロキシーに着く。ここが新兵訓練の基地というわけだ。ブロデリック扮するジェローム二等兵と出来の悪い仲間たちは初日から訓練担当のクリストファー・ウォーケン扮するトゥーミー軍曹にこっぴどくしごかれる破目に陥る。 あとはお定まりの新兵訓練物語が展開するのであるが、とりわけて注目に値する展開や表現はない。あえて言うならばディア・ハンター以来贔屓にしているウォーケンが期待通りの「いっちゃってる」軍曹を演じきることだ。 北アフリカの戦場で負傷し、頭部に破片を残したまま訓練係に回されているという設定で、どこか壊れている偏執狂的な軍曹役は、見事な坊ちゃん顔のブロデリック他のひ弱な都会ッ子達との好対照で面白い。 実際に戦場に出ることのない、この兵隊映画の中で、ウォーケンは唯一戦場の狂気を醸し、少年達の心の奥底に宿る漠然たる「死」への不安を描くのに成功していると思う。 軍曹への反発、休暇時の街の売春窟での童貞喪失、地元の少女との淡い恋・・・を経て、やがて10週間の基礎訓練を終えて若者達は戦地に赴く時が来るのであるが、戦地に行く前に戦争は終ってしまう。

BiloxiBlues5.jpgありふれた新兵訓練物語ではあるのだが、ニューヨーク周辺の召集兵の部隊だけあって、主人公はじめとするユダヤ系米国人の戦争へのスタンス、他の米国人のユダヤ人観などがチラホラとちりばめられ、当時のポピュラー・ミュージックに乗せて戦争に駆出される少年達の死の不安に揺れ動く心情をニール・サイモンは自らの体験をもとにあっけらかんと明るく描いている。ブロードウェイの舞台ではどのような評価を得たのか知らないが、映画としてはB級ながら原作・脚本のニール・サイモン自らの青春グラフィティーとして観れば、それなりの評価が出来るのではないだろうか。ニール・サイモンはラストのヴォイス・オーヴァーで主人公にこう言わせている。「今思えば、軍隊にいた時が一番楽しかった。戦争や軍隊が好きなわけではない。勝手なものだが、僕が若かったからだ。嫌いだった仲間も、軍曹も皆若かった。今はそれが無性に懐かしい。それが人生というものかな。」

実はこの映画、戦争映画ファンからも、普通の映画ファン(笑)からもあまり評価されないというか、無視された映画なのだが、さもありなん。 何しろオープニング・タイトルで新兵列車が霞の中で鉄橋を渡るシーンが、ラストで同じフィルムを反転させて使い逆方向へ列車を進行させるというとんでもない手抜き(或は意図的にふざけた?)をやっているのだ。それでもこのシーンのBGMに往路パット・スズキの「How High the Moon」が、復路はベニ-・グッドマンの「Memories of You」が控えめに使われ、しみじみとした良い雰囲気を出している。この辺はさすがにマイク・ニコルズというほか無い。 他の所謂「兵営もの」の映画には、「地上より永遠に」、「フル・メタル・ジャケット」、「愛と青春の旅立ち」、「若き兵士たち」などなど、結構名作、人気作があるのだが、わたしはこの映画の雰囲気が一番好きだ。 それに免じて手抜き(?)は見逃してやるとするか。
(2000年12月8日)

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No.9 「ブルー・ハワイ」

エルビス・プレスリーについては今更説明の必要は無いだろう。先の大戦で日本がアメリカと戦争をしたことも知らない世代の若者ですら、ビートルズと並び称されて名前ぐらいは聞いた事があるに違いない。 斯く言う筆者も全盛期をリアル・タイムで知っているわけではない。筆者は団塊世代の最終ランナーで、所謂ビートルズ・エージであるが、その時代ですらプレスリーはお約束事のように定期的に、世界中で映画と歌をセットでヒットさせ続けていたのである。プレスリーは1954年、メンフィスのサン・レコードにおける"That's All Right"の初リリース以来、"Heartbreak Hotel"、"Hound Dog"、"Don't be Cruel"、"Love Me Tender"と立て続けに全米ヒットを飛ばした伝説のロックンローラーの時代、1958年〜1960年の西ドイツ駐屯米第7軍第3機甲師団における兵役を境とする60年代の映画中心の時代、そして1969年から再開したライブ・ステージによる大復活と、1977年に42歳で逝去する迄に、ほぼ三度の絶頂期を持つ不世出のアメリカン・ヒーローであった。

ElvisBlueHawaii.jpg今日のテーマは1961年映画「ブルー・ハワイ」だが、上に書いたようにプレスリーが映画中心に活動している時代の代表作といって良いだろう。前年の1960年に陸軍を4級特技下士官(歩兵で言えば3等軍曹)で満期除隊したプレスリーは、同年早速兵役体験を「G・Iブルース」なる青春音楽映画にしてしまい、主題歌"G.I.Blues"も全米で大ヒットさせてしまう。 この「ブルー・ハワイ」においても冒頭主人公の青年チャドウィックが欧州駐屯の兵役を終えてホノルル空港に帰還するところから物語が始まる。まあストーリーは恋あり、冒険あり、歌ありの典型的な青春音楽映画であり、絶頂期のプレスリーの歌が存分に楽しめるというファンクラブ向け映画のようなものなので敢えてふれないが、若大将はおろか、寅さんもビックリするほど多く制作されたプレスリー映画の中でも、とりわけ青春音楽映画の中では出色の出来であり、個人的にも思い入れ深い映画なので取り上げてみたい。 映画に登場する60年代初頭のホノルルの街は美しい! 今のハワイしか知らない人達には想像できぬほどに素朴で安らぎのある、本当のリゾートの姿がそこにはある。ホノルル空港から街へ向かう道路も海沿いを走り、ニミッツ・ハイウェイなんかないのである。

挿入歌は複数が全米ヒットチャートにランク入りしたのであるが、有名なのは全米ランク1位となった主題歌"Blue Hawaii"、"Hawaiian Wedding Song"そして筆者一押しの"Rocca Hula Baby"である。 映画中、いかにも楽しそうにこの歌を唄うエルビスが好きである。 「ブルー・ハワイ」の後に1962年に「ガール!ガール!ガール!」、1966年に「ハワイアン・パラダイス」とハワイを舞台にした映画を制作、「ブルー・ハワイ」とでプレスリーのハワイ三部作と称されるが、後の二作でのプレスリーには「ブルー・ハワイ」のような屈託の無い明るさが無く、なぜか精彩を欠いている。「ブルー・ハワイ」の撮影の時でさえ彼は撮影以外の時には殆どホテルの部屋から出なかったそうであるが、三作もハワイで映画を作るのであるから彼が何らかの理由でハワイを気に入っていたであろうことは疑い無い。 南部の貧しい家庭に生まれ、その溢れる才能で未成年にして音楽シーンの頂点を極めてしまった青年が、後に薬物と過食で肉体も(恐らく精神も)崩壊して、若くして無残に死んでしまう過程で、ハワイは何らかの癒しを与えたと同時に、何かの「きっかけ」も示唆したのではないかと思う。

映画制作からも遠ざかり、隠遁者のようになり肉体と精神のバランスを崩しかけていたプレスリーが1969年ラスベガスのライブ・ショーで不死鳥のように復活した時には驚いた。 しかも70年代にかけて毎年150回以上もコンサートを行うなど、まるでとり憑かれたようにライヴをこなして行くのである。 確かに素晴らしいステージ演出だったし、新しいヒットも飛ばし、彼の新境地ではあったけど、何故かそれらのステージのエルビスはサイボーグのようで痛々しく哀しかった。 私生活では常に孤独で幸せの薄かった億万長者が「ブルー・ハワイ」で見せた、自立して行く金持ちの息子役には、母親への誕生日プレゼントにメンフィスの貸しスタジオで自分の唄を録音した18歳の純朴な青年の面影が宿っていた。輝くスターでありながら、甘く優しくて包容力のあるプレスリーをその後のスクリーンやステージで観ることは出来ない。そんな意味で「ブルー・ハワイ」は筆者には世評以上に忘れがたい映画である。 10年前、ハワイ州カウアイ島を訪れた際にどうしても訪れたい場所があった。「ブルー・ハワイ」のカウアイ島シーンで撮影に使われたシダの洞窟があるココ・パーム・リゾートである。映画から既に約30年を経て古ぼけてはいたが、映画のままの場所であった。 そのリゾートも残念ながら後年の大型ハリケーン「Iniki」で倒壊してしまった・・・
余談であるが、ハワイ出身の横綱曙太郎は本名をチャド・ローウェンと言う。 思うに、年代的に見て彼の母親は生まれた息子が優しく逞しく母親思いの男に育つことを願って「ブルー・ハワイ」のエルビス・プレスリーの役名「チャド」を与えたのではなかろうか。
(2000年10月7日)

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No.8 「砦の29人」

高校生の頃、所謂マカロニ・ウェスタンにはまっていたことがある。イーストウッド主演の「荒野の用心棒(1964)」の大ヒットに味をしめた日伊映画界により、柳の下のどぜうを狙って次々に公開される怪しげな映画を、殆ど毎週末に友人とつるんで映画館に通い詰めていたと思う。当時としてはそれなりに面白かったというのは正直な感想だ。マカロニ・ウェスタンの大公開時代は既にテレビ全盛時代であったが、私の世代は、親次第だが、本場西部劇の名作を結構観ている。子供であっても、本格的テレビ時代の到来前夜には映画は庶民の娯楽の王様であったので、映画の細かいことは判らないまま今やクラッシックとなった名作を結構観ているのである。

何よりマカロニ・ウェスタンは新鮮だった。名作はいざしらず、B級、C級のハリウッド製ウェスタンはマンネリ化して流石の我国の観客にも飽きられていたのだろう。主人公が決して100%の善玉ではなく、奇想天外・荒唐無稽なガン・ファイトが、西部劇に刺激を求めていた日本の若い観客の人気を集めたのは事実だろう。
特に「荒野の用心棒」は黒澤の「用心棒」のリメイクということでアメリカでも話題を集め、続く「夕日のガンマン」と比較的重厚な娯楽作品と評価された。マカロニ映画とはいえ、一応はアメリカ人でハリウッドの大部屋俳優だったクリント・イーストウッドがこのシリーズで一躍大スターの仲間入りしたことは、このシリーズが本場でも評価されたことの証であろう。 一方で、ドロドロのイタリア演歌ウェスタンの世界を演じて評価を得たのが「続・荒野の用心棒(1966)」のフランコ・ネロであり、美男子・爽やか系で女の子の人気を集めたのが「荒野の1ドル銀貨」、「南から来た用心棒」の早撃ちアリゾナ・コルトことジュリアーノ・ジェンマである。 斯様に異なるタイプのヒーローを生出したとともに、個性的な「悪役」が注目されたのも特筆すべきだろう。ジャン・マリア・ヴォロンテ、リー・ヴァン・クリーフ、ニーノ・カステルノーヴォ、などその後の映画界での注目度は高かった。 余談だが、偏執狂の悪役を得意としたニーノ・カステルノーヴォはカトリーヌ・ドヌーブ主演の美しきミュージカル「シェルブールの雨傘(1964)」で北アフリカに出征して行くドヌーブの恋人役の青年を好演している。

DuelAtDiablo2.jpg実は今回の主題はマカロニ・ウエスタンではない。マカロニ西部劇全盛のこの時代に公開された1966年ハリウッド製西部劇「砦の29人(Duel at Diablo)」である。公開時期が同時期であるので、マカロニ・ウェスタンの大群に埋もれてしまって日本での注目度はイマイチというところであったろうか。主演はTVシリーズ「ロックフォード氏の事件メモ」や同「マーベリック」で日本でもお馴染みであったジェームス・ガーナ−、脇役にシドニー・ポワティエといったところで、ミステリー仕立の異色ウェスタンであったと記憶しているが、何よりもその斬新さはその主題音楽であった。 音楽を担当したニール・ヘフティーはマカロニ西部劇音楽の代名詞ともなったエンニオ・モリコーネの音作りであった電気ギター(いわゆるエレキ・ギターとは区別して使ったつもり)の単音により短調の主旋律を弾く手法を使っていたのである。 この映画のストーリーを話せといわれても実は正確には述べられないが、何故かこのサウンド・トラックだけはほぼ正確に口ずさむことが出来るのである。

昔から西部劇の主題歌というのは好きだったが、この異色西部劇は、あえて言うならば、マカロニ西部劇の影響を受けたと思われる特異な旋律の主題歌で憶えているのである。「黄色いリボン」や「駅馬車」や、「荒野の決闘」や「OK牧場の決闘」や「リオ・ブラボー」とは違うそのテーマ曲によってである。今や語り草になってしまったマカロニ・ウェスタンであるが、一種キワモノ扱いを受けるという仕打ちにもかかわらず、映画音楽面でハリウッド映画に与えた影響は意外に大きかったのだと思っている。
(2000年9月17日)

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No.7 「渚のデート」

ConnieFrancis.jpg60年代に米国で一世を風靡したコニー・フランシスという女性ポップス歌手をご存知でだろうか。 当時アメリカン・ポップス全盛の日本でも多くの曲が日本人歌手により日本語でカヴァーされて、コニー・フランシスの歌は主に伊東ゆかり嬢(筆者注:当時、中尾ミエ、園まり、と共に三人娘と称された。佐川みつおとの結婚でケチがついたが、今も「塩野義ミュージックフェア」の常連)がカヴァーしていた筈。 当時カヴァーする日本人歌手はだいたい決まっていたようで、例えばプレスリーやジーン・ヴィンセントは坂本九(筆者注:「上を向いて歩こう」で日本人空前絶後の全米No1ヒットを記録、柏木由紀子と結婚、1985年日航機御巣鷹山事故で死亡)、ニール・セダカは飯田久彦(筆者注:いまや某レコード会社の社長さん!)、リトル・エヴァは弘田三枝子(筆者注:和製リトル・ダイナマイトとして女性ポップス・シンガーのはしり。整形変身のはしりでもある。健在)、エリック・バードンは尾藤いさお(筆者注:いまや昔のままの風貌でおじさん役の名脇役俳優)、といったわけで、コピーするのは「早い者勝ち」で、一度コピーすると業界の暗黙の了解というか渡世の仁義で、他の歌手はなかなかカヴァー出来なかったそうである。 

ともあれ歌謡バラエティー番組の元祖として、いまや伝説的な存在である「シャボン玉ホリデー」を発信源としてテレビ時代にふさわしい「バタ臭い歌謡曲」として日本中に伝播し、今の中高年の方々には忘れられない「青春歌謡」であるはずだ。中にはこれらの曲が「高校三年生」や「美しい十代」と同様に日本人歌手のオリジナルと思い込んでいる方もきっといらっしゃるだろう。ところが当時の日本の音楽シーンは「歌謡曲」歌手と、進駐軍回りのジャズ歌手に端を発するコピー専門「ポップス」歌手に明確に分けられていたのである。

さて、コニー・フランシスであるが、如上のような日本的「コピーの仁義」の世界では例外中の例外で、複数の女性歌手が曲毎にコピーして自分の持ち歌として共存していたのである。 上記で伊東ゆかりと書いたが、彼女の代表ヒット「ボーイ・ハント(Where The Boys Are)」を意識したもので、彼女は主にバラード系をカヴァーしている。 アップテンポの曲は「バケーション(Vacation)」、「すてきな冬休み(I'm Gonna Be Warm This Winter)」を弘田三枝子が、「かわいいベイビー(Pretty Little Baby)」、「カラーに口紅(Lipstick on Your Collar)」は中尾ミエ女史がコピーしていずれも日本語の大ヒット曲なのである。 因みに、カヴァーこそしていないが、「カラーに口紅」はユーミンこと荒井由美(当時)のヒット曲「ルージュの伝言」の曲想モチーフとなっているだろうことは想像に難くない。

話がとんだ横道に逸れてしまったが、大歌手コニー・フランシスのヒット曲「渚のデート(Follow The Boys)」は実は映画化されていて、これは結構レア物というか、なかなか良いのである。 映画の題名は歌の題名通りの「Follow The Boys」で、日本での吹き替え題名は「渚のデート」である。配給会社の姿勢は一応筋が通っている。 この映画ご覧になったことの無い方は、海辺を舞台にした他愛無いB級青春恋愛映画を想像されるであろう。 他愛無いB級映画であることは正しいのであるが、他は全然違うのである。 実はこの映画、地中海を守備範囲とするアメリカ合衆国海軍第六艦隊が寄港する港々に、艦隊勤務の夫や恋人に陸路随伴し続ける海軍軍人の妻や恋人、いわゆる「海軍追っかけ」を描いたドタバタコメディーなのである。 映画のオープニングタイトルでいきなり地中海の紺碧の空と海を背景に、コニーの甘いバラードと共に、雄々しい艦隊が出現してビックリ!の映画なのである。ストーリーは元々お馬鹿な映画なので触れないが、さすがアメリカと何故か感心してしまう、ある意味で非常にアメリカ的な映画なのかもしれない。 因みに、ラヂヲ向き歌手であるコニー・フランシス嬢は若い頃からあの歌声に似合わぬがっしりした「おばさん顔」で、十代の砌にシングル盤レコードを買って初めてその尊顔に対面した時の絶望を思い起こさせるそのままんまで、映画でも見事に三枚目役を乗りきっておるのです。
(2000年8月12日)

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No.6 「チャイナタウン」

実はアメリカの所謂ハードボイルド小説が好きです。 中学生ぐらいの頃から、人並みにダシール・ハメット、ロス・マクドナルド、レイモンド・チャンドラーがお好みで、ミッキー・スピレーンはイマイチ肌が会わなかった。比較的最近の作家ではやはりロバート・B・パーカーかな。酔いどれジェイムス・クラムリーも捨てがたい。 さて、この手のアメリカ映画というと、実はあまりこれという名作が無いというのが私の独断的見解なんですわ。 どうも映画化するとつまいんない作品になってしまうのですね。ロバート・ミッチャムの「さらば愛しき人よ」の世評が高いと聞きまするが、あのヨボヨボのマーロウは見るに耐えません。原作が台無しであります。まだロバート・アルトマンがエリオット・グールドを起用した70年代風マーロウの「ロング・グッドバイ」の方がウィットが効いていて「まし」だと思いますが。 ポール・ニューマンのリュー・アーチャーならぬルー・ハーパー・シリーズもいただけません。ニューマンは良い俳優なんだけど、どうも目つきがギラつき過ぎていて、クールな役どころはどうもね。

Chinatown.gifそれで、ハードボイルドものの映画でわたくし一押しなのが怪優ジャック・ニコルソンが探偵ジェイク・ギテスを演ずる1974年ロマン・ポランスキー監督の傑作「チャイナ・タウン」なのです。「黄昏のチャイナ・タウン」なる続編もあるのですが、こちらの方は本当に黄昏ちゃってますのでお奨めしません。 時は1930年代のロス・アンゼルス、ある殺人事件と水利権を巡る利権がらみの巨悪との関連を嗅ぎつけた探偵が、小突かれながらもとんでもない事件の真相に迫るお話しなんだけれども、LAがもともと砂漠の中に出来た人工都市であることを思いださせてくれたりして、社会学・地政学的にもなかなか頑張ってる映画でもあります。 まあ、ストーリーは省略いたしますが、ポランスキー向きのどろどろした話を、ニコルソンとヒロインのフェイ・ダナウェイが好演するのですが、これが素晴らしい。 私、いまだに、このお二人の作品中、これが最高傑作と信じております。ジョン・ヒューストンがイブリン(フェイ・ダナウェイ)の父親の巨悪役で出演していたりと何かと話題の多い映画でありますが、ジェリー・ゴールドスミスが素晴らしい音楽を提供していることは意外と評価されていないかもしれません。 主題の「愛のテーマ」は、やるせない哀しみと、見果てぬ愛を、退廃した新興都市LAの魔窟チャイナタウンに投影した傑作と思います。

何故か、探偵映画、刑事警察モノの映画の主題歌というか映画音楽には、映画はダメでも優れた曲が多いのですが、この作品は映画と音楽が融合した例外的に両方優れた作品と評価します。御参考までに、今でも本作品サントラCDが米国のサイトで入手可能です。 わたしは1977年にLAのタワー・レコードでアナログLPを購入、今でも大切に持っております。そうですジャケットはあのニコルソンの吸う煙草の煙がフェイ・ダナウェイの髪に重ねてデザインされた有名なポスターのデザインです。
仕事に疲れたら、世間に疲れたら、家庭に疲れたら、深夜バーボンなど舐めながらパイプ煙草の香りの中でこんな曲を聴くのが一番の特効薬なのです。
(2000年7月26日)

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No.5 「グレート・レース」

アメリカのヘンリー・マンチーニ(一般にはマンシーニか)という作曲家をご存知でしょうか。特にこの人のファンというわけでもないので、まだ存命かどうかもしりませんが、いわゆるイージー・リスニング系の音楽家であり、同時に多くの映画音楽を作曲しているので、映画ファンでは知らない人はいないでしょう。有名なところでは「ティファニーで朝食を」、「ピンク・パンサー」、「シャレード」、「酒とバラの日々」など名作ばかりで、いかにも売れっ子作家であったことが覗えるのであります。 実は学生時代にこの人を好きだと言おうものなら、全ての友人・仲間に腹を抱えて大笑いされても仕方が無い音楽環境に居りまして、口が裂けてもこの人系の音楽には無関心を装はざるを得なかったという深いトラウマを持っております。

GreatRace.jpgさて、このマンチーニさんの映画音楽の中で、私が最も好きなのはブレーク・エドワード監督1965年の映画である「グレート・レース」の主題歌として全編で使われた"Sweetheart Tree"という曲なのであります。 映画のほうの舞台は20世紀初頭、トニー・カーチス演じる善玉冒険家グレート・レズリーと彼を目の敵とするジャック・レモン扮する悪役フェイト教授がNew YorkからParisまで自動車レースを演じるというコメディーなのでありますが、公開時は封切館でかなり大々的に公開され私も観に行ったのでありますが、25年経った今や誰もこの映画を名作とは言わないという可哀相な映画なのであります。 フェイト教授の助手でコロンボ刑事ことピーター・フォークが若々しい顔で好演しておりますし、ヒロインのナタリー・ウッドもまだ美しいままで、やり手新聞記者を演じておりました。コメディー自体はどちらかというとドタバタお馬鹿系であまり好みではありませんでしたが、登場する自動車や風俗や屋外セットがさすがハリウッドのこだわり様で、当時の娯楽作品としては一級品であったことは間違い無いでしょう。WB作品というよりは、むしろ「八十日間世界一周」やら「難破船」などのディズニー映画の世界といったほうが良いかもしれません。
トニー・カーチスも笑うとキラリと白い歯が光る仕掛けが笑わせてくれましたが、ジェミー・リー・カーチスおばさん(実は結構好み)の父親とは思えぬくらいカッコ良かったけど、既に当時50歳ぐらいとは驚き! 俺は一体何なんだ。

件の美しい旋律の主題歌はオープニング・タイトル、エンド・ロール、に加えてナタリー・ウッドがギターの弾き語りで歌うシーンもあります。 どれもお気に入りなのですが、やはりオープニングのマンチーニ渾身(?)のバージョンが一番。 ピアノのトレモロ奏法による独特なイントロが、この曲を、またこの映画を、またマンチーニを、条件反射的に思い出させるのです。 そもそも発売されたかどうかも知りませんが、今頃になってこの映画のオリジナル・サウンドトラック・アルバムが、出来ればアナログ・レコードで欲しくてしょうがないのです。 LAかNYあたりの中古レコード屋でも探さないと無理かなあ・・・ せめてレンタル屋でビデオを探して、久しぶりに観てみようかな。 良き時代のハリウッドの製作者達が如何に優れていたかを知る機会として、この作品、一見をお奨めします。
(2000年6月24日)

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No.4 「シェーン」ー遥かなる山の呼び声

子供の頃、おぼろげながら記憶があるのだから、1950年代後半の小学校低学年のことだと思う。 よく封切りの洋画を観にに連れて行ってもらった。 当時は今と違い、私の生まれ育った山陰の小都市では、大人の娯楽といったら映画ぐらいしか無かったのだが、とにかく毎週の様に映画に行ったことを鮮明に憶えている。 残念ながら、どの映画を誰が連れて行ってくれたのかの記憶は正確ではない。 当時私の生家には地元の大学生と高校生が数人下宿していたのだが、そのうちの一人(多分大学生だったのだろうと思うが)と私の父が洋画専門で、私の祖母が邦画専門だった。

Shane.gif封切りの「シェーン」を観に連れて行ってくれたのは、父であったことを、映画のあらすじと共に何故か例外的にはっきりと憶えている。 その頃の父は若く、軍隊帰りで、短気で口より先に手が出て、躾が厳しくて、ひ弱なおばあちゃんっ子だった私には怖い存在だった。 何故か父は観たい洋画の封切りには必ず私を連れて行った。 映画の帰りには、あの主人公はアラン・ラッド、悪者はジャック・パランスなどど教えてくれたようで、小学生ながら、時のハリウッドのスターの顔と名前は殆ど言い当てることが出来た。 後日おもちゃの二挺拳銃などを買ってもらって喜んでいた一方、実はこの時以来、私は大人になっても西部劇史上不朽の名作「シェーン」をテレビでも映画館でもビデオでも一度も観たことがないのだ。 二挺拳銃のヒーローである流れ者シェーンと彼を慕う少年の母親との間の仄かな恋心、少年の父親の嫉妬心、などを感じ取って、子供ごごろに何故か複雑な思いに胸が疼いた記憶があり、それを心に秘めたまま父や家族には、西部劇に無邪気に喜んでいる子供の「演技」をしていたことを、私は自分で知っていたのだ。 それが私をこの映画から遠ざけていたのか、見直して子供の頃の記憶を壊したくないとの気持ちが無意識に働いたのかもしれない。

そのことに気付いたのは、時折テレビで流れる「シェーン」放映の予告編などの名作紹介番組のバックに流れる、映画のラスト・シーンで流れるメイン・テーマ「遥かなる山の呼び声」を聞くときの自分の心理状態だった。 単にノスタルジックな思いに駆られるのではなく、何かうしろめたい様な、イケナイものを見てしまった子供がどうしたら良いか判らなくて黙り込んでしまう様な、そんな気持ちが、映画のカラー・シーンと共にフラッシュ・バックして来るのだ。 あの素晴らしい主題曲は、マセガキであることの罪悪感に怯え、それを周囲に知られまいとする少年の私を思い出させると同時に、普段は一切メガネをかけなかった父が映画を観る際に薄い青色のレンズの銀縁メガネを取り出してかけるという「秘密」を、怖かった父と共有している不思議な充足感を思い出すのだ。

山田洋次という日本映画の監督がいる。 誰が脚本を書いているのか知らないが、この監督は「遥かなる山の呼び声」とか「幸せの黄色いハンカチ」などという臆面もない題名の日本映画を平気で撮る。 「遥かなる山の呼び声」は最初から拒否反応で未見、「幸せの黄色いハンカチ」はたまたまテレビ放映を見てしまったのだが、まるで"Tie a Yellow Ribon Round the Old Oak Tree"のストーリー通りで、パロディーでもオマージュでも何でもない。 世評は高い監督なのかどうかは知らないが、私はこの映画監督が大嫌いである。
(2000年6月3日)
 

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No.3 「ブルース・ブラザース」!

BluesBrothers-2.gif「ブルース・ブラザース(The Blues Brothers)」という1980年の米映画がある。勿論、多くのファンがいらっしゃるだろう。実はわたしもその一人である。ジョン・ベルーシとダン・アイクロイドという1980年代アメリカを代表するコメディアンが黒のソフト帽、黒スーツにサングラスというなんともアナクロないでたちのブルース・デュオという設定でハチャめちゃ・ドタバタを延々と繰り広げる馬鹿馬鹿しい映画なのだが、何故か「偏愛」ファンが多い映画の一つなのである。日本では、一部のマニア的ファンにもてはやされている程度で、さほどでもないが、アメリカには特に偏愛者が多く、プロの音楽関係者・映画関係者の中にも相当いるようなのがこの映画の特徴で、1998年には続編の「ブルース・ブラザース2000」まで作られていて、パロディーを作られたり、ジョークネタになったりするのは風俗現象化までしてしまった証拠なのだろう。

それだけ支持される理由は何と言っても、主人公の二人のギャグの面白さもさる事ながら、次々と登場してくるソウル、ブルース界の大スター達と、懐かしいソウルフルなヒットチューンにあるのは明らかである。 この二人のキャラクターはアメリカの超人気TV番組、「サタデーナイト・ライブ」からブレイクしたものだが、映画化に関しては、どうも大のソウル・ミュージック・ファンであった監督のジョン・ランディスとデュオの一人であるダン・アイクロイドが、何かで話しているうちに盛り上がって、そのうち俺も俺もと同好の士が参加して、ついには映画制作へとなったような気がするのである。つまり、始めは趣味の世界で、内輪受けで作ってしまったら、意外にも大ヒットしてしまったというのが真相なのではないだろうか。 その所為か、登場するジェームス・ブラウンも、レイ・チャールスも、アレサ・フランクリンも、妙にリラックスして演技しているような気がするのは私だけであろうか。 スティーブン・ビショップ、ジョン・リー・フッカーなんてスターをチョイ役で使い、スティーブ・クロッパーなんて玄人好みのミュージシャンを登場させたり、ストーリーでカントリー・ソングをおちょくるところなんか、白人のソウル・ブルース・マニアの悪戯心をくすぐる仕組みになっていて、何ともアメリカの映画人の余裕と奥深さを感じたりするのである。 おまけに、「スター・ウォーズ」のレイア姫ことキャリー・フィッシャーが謎の女役で登場したり、役所の窓口係役でなんとスティーブン・スピルバーグが顔を見せたりする。

BluesBrothers2000.jpgさらに凄いのは、業界関係者からあまりに支持され続け、主役の一人ジョン・ベルーシが死んでしまったにも拘わらず、17年後に続編を作ってしまうことなのだ。 通常はハリウッド映画業界が大好きな続編の場合、映画会社の「二匹目のどじょう」狙いにより制作され、観客には大抵大きな期待を持たれないのであるが、この続編「ブルース・ブラザース2000」の場合、第1作より遥かに多くのソウル・ブルース界の大スターが、まるでパーティーでもやってるように大挙参加登場するのである。前作に出演したJB、やアレサなど殆どの大スターに加え、B・B・キング、W・ピケット、エディー・フロイド、ジャック・ディ・ジョネット、ボー・ディッドリー、アイザック・ヘイズ、ドクター・ジョン、ルウ・ロウルズ、ビリー・プレストン、グローバー・ワシントン・Jr、などなど、登場してないこの世界のスターを探すのが難しいぐらいのラインナップ、ついでにスティーブン・ウィンウッドとエリック・クラプトンもご登場というわけで、いくらストーリーが馬鹿馬鹿しくてもこりゃ−歴史的な作品になってしまっていると言わざるを得ないのであります。こんな映画が作れてしまうのがハリウッドの底力で、わたしゃ"Funky Nassau"であっさりと失神しそうになりやしたぜ、まったく。
(2000年5月1日)

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No.2 「For the Boys」
ベット・ミドラー、ジェームス・カーン主演の「For the Boys」という映画があります。第二次世界大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争にわたり、戦地慰問を続けた女性シンガーとボードビリアンの約半世紀間の愛憎を描いた映画なんであるが、正直な話、世間ではあまり評価が高かったとは云えない映画で、殆どB級映画扱いでしたな。

まあ、ベット・ミドラーという女優(というより歌手)、日本では一部音楽ファンの間でこそ評価は高いのであるが、もしかして一般の若い映画ファンの間では、肥りぎみのキワモノ中年コメディエンヌと思われているのではないかと心配しておる次第。

実は私、この、故淡谷のり子と故太地喜和子をミックスしたようなベット・ミドラーがなんとも好きで、この映画も、ミリタリー趣味もさることながら、彼女が出演しているので興味を持ったというのが正直なところなんですわ。 因みに相方のボードビリアン役の通好み美男ジェームス・カーンはあまり好きな男優ではありませんな。この映画、確かにストーリーはイマイチで、私も世間同様あまり高い評価は与えておらんのですが、なぜか気になる映画では有ります。その理由はたった一つのシーン。

ForTheBoys.jpgマイナーな歌手ながら、アフリカ戦線に出征している夫を持つ主婦であったミドラー扮するデキシーは、ひょんな事から戦地慰問をしているジェームス・カーン演じるスター・ボードビリアンの前座歌手に抜擢され、ドイツ軍の空襲警戒下のロンドンに向かうのであります。当時英国に派遣されていた米陸軍航空隊の大勢の将兵の前で初めて格納庫でのショウのステージに立ったデキシーは、件の大物ぶって偉そうなボードビリアンと反目しながらも、大声援のうちにショウを終えます。 このショウの最中、突然の停電に見舞われ、デキシーは動ずることなく即興でステージを降り、格納庫内の飛行機(B-17?)の上にも鈴なりになった将兵達の中で、静かに情感を込めて肉声で "P.S. I Love You" を歌い上げます。 このシーンが素晴らしい。兵士達の懐中電灯の逆光の中でデキシーは生きて帰れぬかもしれぬ兵士達の母親として、妻として、恋人として、一人一人の兵士に囁きかけるが如く歌います。何度観てもこのシーンは胸にせまるものがあり、個人的にはこの映画で忘れられぬシーンとして私の脳裏にIn-Putされたのであります。

実はこの映画では他にも山場があって、時代は移り、デキシーの成人した一人息子が大尉として駐屯するベトナムの山中にヘリで慰問に出かけ、ショウの最中にベトコンの攻撃により目の前で息子を失うという、ハリウッド映画ならではの、出来すぎ、やりすぎエピソードもあるのだが、ここで歌うビートルズの "In My Life"もなかなか渋い味わいで悪くはないのであります。 ところがやはり、この映画は冒頭の英国での格納庫シーンが全てなんですな。最近の戦争航空映画「メンフィス・ベル」の劇中でも同じく英国派遣米第八空軍の格納庫ショウのシーンがあり、B-17の後部機関銃手を演じている、今をときめく新進気鋭ジャズ・シンガー兼ピアニストのハリー・コニックJr.君が歌う "Danny Boy"もなかなか聞かせるのですが、「For the Boys」のベット・ミドラーの迫力と包容力には到底敵わないのであります。 20年早いよ、おにいちゃん!
(2000年3月25日)

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No.1 「映画と音楽について」
このページの駄文を書き始めるにあたり、まず「映画」と「音楽」、そして更に「映画音楽」について、感じていることをとりあえず述べてみたいと思うのであります。トーキーが発明されて以来というもの、映画の娯楽性は飛躍的に高まり、画面の俳優が台詞を喋ることから、効果音、効果音楽、そして音楽映画、ミュージカル等、どちらかと云えば「音楽」の方に中心を置いた芸術としても発展しつづけ、今や、高度なデジタル・テクノロジーの進歩により、驚異的な音声・音楽再生が当然となり、映像と共に旧作品までもが最新技術で再製して再生することが可能となったのであります。これは実に、私のような古い映画ファンにとってはありがたい事で、今の世に生まれて良かった良かったなどと好々爺の様に頷いている場合ではないのであります。

自分のお気に入り映画を語る時、人は誰もその映画の販売宣伝部員の如く、はたまたテレビ伝道師の如く、熱く、如何にこの映画が素晴らしのかに熱弁を振るう。他人がけなす部分も、実はとうに承知しているのだが、そこは出来の悪いガキほど可愛い親バカの如く、これ弁護・庇護に努めるのですな。 要は、好きな映画というのは脚本がどうの、カット割がどうの、俳優の演技がどうの、考証がどうの、といった次元を超越してしまっていて、作品として優れているかどうかの普遍性とは相関は無いと断定してしまいましょう。そもそも、その映画を個人的に評価する根拠が曖昧というか、根拠が「無い」まま偏愛しているのだから、もしあったとしても後でコジ付けたものに違いないから、「偏愛」していない冷静な他人と論評し合うと、大抵は他人にいとも簡単に論破されてしまい、しどろもどろになるのがオチなのであります。

それでは、人は何故そのような根拠無き「偏愛」に陥るのかと言うと、戦後生まれの自分たち世代に限れば、実は「音楽」が重要な役割を果たしているような気がするであります。世代の如何を問わず、「思い出の名画」というのは、殆どが多感な青春期に、ある精神状態・社会情勢・生活環境において観た映画が、その精神状態に映像、台詞がシンクロして脳裏に焼き付き、そしてその「音楽」がサブリミナル効果のように、無意識に脳細胞に刻まれ、歳を取ってもその「音楽」を聴くと、パブロフの犬のように脳のメモリーから映像が呼び出され、更に青春の苦くも甘酸っぱい思い出がフラッシュ・バックする仕組みで、過ぎ去りしものは全てが美しく、駄作も名作に・・・とまあ斯く言うのも自分の体験からの推論でありまして、実に何の根拠もございません、はい。

"As Time Goes By"を聴けば、昔六本木某所にあった「カサブランカ」劇中の酒場Rick's Cafe Americanを模した「Boggy's Bar」なる酒場に通ったことも御座いやした(注:筆者は年齢的にも決してリアル・タイムでこの作品を観ておりませんので、念の為)。 「真夜中のカウボーイ」ラスト・シーンに流れるジョン・バリー楽団だったかのハーモニカをフューチャーしたテーマ曲は、今聞いても物悲しく、何故か貧乏臭い学生下宿を思い出しますなあ(「神田川」では絶対に思い出さない)。
それで、映画に関する四方山を、「独り言」してみようか・・・というのがこのページの思いつき。 公序良俗に反することの無い範囲で、反論無しの言いっ放しというのは、長い間会社人間として無意識のうちに飼い慣らされた勤め人としては、悪魔の囁きにも似て、断ちがたい誘惑なのであります。

(2000年3月20日)
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